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東京地方裁判所 昭和56年(行ウ)66号 判決

原告 吉田軍治

被告 総理府恩給局長

代理人 天野高広 後藤博司 ほか二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五一年八月九日付でした恩給法に基づく傷病恩給請求を棄却する旨の裁定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は昭和一六年三月二二日現役兵として独立歩兵第九一大隊に入隊し、昭和二一年六月二八日旧軍人を退職した。

2  原告は昭和一八年五月二七日中華民国湖南省太子坡において交戦中、飛来した迫撃砲弾が至近で炸裂したため飛散した破片、岩石により顔面及び頭部を強打し頭部、右眼を負傷、右眼の視力低下などを来したが、これがため昭和三二年九月ころ葡萄膜滲出症候群(ユーヴイアル・イフユージヨン・シンドローム)に罹患し、そのため昭和三四年三月両眼を失明するに至つた。

3  そこで原告は昭和五〇年一二月一〇日傷病名を「網脈絡膜萎縮(両)陳旧網膜剥離」として被告に対し恩給法四六条ノ二第三項の規定に基づき公務傷病による恩給の請求をしたところ、被告は昭和五一年八月九日原告に対し右傷病が旧軍人在職中の公務に起因したものとは認められないとしてその請求を棄却する旨の裁定(以下「本件処分」という。)をした。

4  しかしながら、原告が前記のとおり迫撃砲弾の破裂により頭部などを強打し右眼を負傷したことと両眼を失明したこととの間には相当因果関係があり、原告の失明は公務に起因したことが顕著である。

すなわち、原告は昭和一五年に受けた徴兵検査の結果では身体に異常はなく視力は両眼とも一・二であつたのに、右のように頭部などを強打した直後から右眼に霞のかかつたような視覚異常を覚え、その一か月余りのちの視力検査では右眼の視力が〇・七に低下したことが判明し、その後も同じ症状のまま推移したが、昭和三二年九月に至り東京大学医学部附属病院で受診したところ、初診時に鹿野信一医師(当時の助教授、のちの眼科学の泰斗)から「右眼網膜に古い傷があり奇跡的に塞つている。」と告げられたのである。またその後原告は同病院での約一年にわたる入院加療も及ばず昭和三四年三月両眼とも失明するに至つたが、同病院来院後の原告の疾病については当初重篤の原田氏病であるが同病特有の耳鳴り・難聴や皮膚の白斑・脱毛・白髪がなく眼症状も炎症に乏しいことから同病の中でも異型のものとされていたところ、昭和五〇年九月に再度鹿野医師の診察を受けた結果、眼底の脱色素や夕焼状眼底の所見がないことなどからも原告の右疾病は昭和三八年にはじめて報告された葡萄膜滲出症候群であることが明らかとなつた。

そして同症候群は眼部の外傷に起因することがあり、また外傷による毛様体上皮嚢腫が数年後に破裂し同症候群を惹起することもありうると推測されており、一〇数年も前の外傷により発現することも十分に考えられるのであるから、原告は他に失明する原因もない以上前記の頭部などの打撃、右眼の負傷が起因となり、時を経て同症候群に罹患し、両眼とも失明するに至つたことが明らかといえるのである。

5  よつて本件処分は違法であるからその取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち原告が昭和三四年三月に両眼を失明したことは認めるが、その余は争う。

3  同3は認める。

4  同4、5は争う。

三  被告の主張

1  原告の両眼は現在網脈絡膜が萎縮し失明状態にあるが、その原因は網膜剥離であると認められる。網膜剥離には網膜に裂孔が開きそこから浸入した硝子体液が網膜の底にたまつて網膜剥離を起す裂孔原性網膜剥離と、裂孔が見つからず色素上皮の機能が破れて脈絡膜の血管から滲出液が網膜の下にたまつて網膜剥離を来す非裂孔原性網膜剥離とがあるが、原告の両眼には裂孔原性網膜剥離にみられる網膜の萎縮層のような裂孔閉塞の跡はなく、また鹿野医師が前房の所見その他から炎症性の剥離と考えたことからも明らかなとおり、原告の両眼の網膜剥離は非裂孔原性網膜剥離である。非裂孔原性網膜剥離は、原田氏病あるいは葡萄膜滲出症候群や胞状網膜剥離などに起因するといわれており、裂孔原性網膜剥離の原因とされる患者の素因、網膜静脈の血栓症、糖尿病や外傷などにより惹起されるものとは考えられていないから、原告の網膜剥離はその主張する頭部などの打撃とは相当因果関係はないというべきである。

2  とりわけ原田氏病は自己免疫疾患であるということが明らかとなつているからこれが外傷とは無関係であり、また原告が罹患したと主張する葡萄膜滲出症候群は病理としては色素上皮の障害と考えられておりその原因は不明であるが、その症例報告には外傷に起因したとするものはないことからも外傷が原因で発病するということはできない。

3  なお原告の眼底には網膜剥離の裂孔閉塞を窺わせる黄色斑があるとする医師の診断があるが、眼底写真では裂孔閉塞の痕跡は認められないし、右医師は原告の眼疾患につき葡萄膜滲出症候群であるとしているところ同症候群について網膜に裂孔を生ずるという症例報告はないのであるから、原告については裂孔原性の網膜剥離であると考えることはできない。

4  また鹿野医師は外傷による毛様体上皮嚢腫が数年後に破裂して葡萄膜滲出症候群を起すことを推論しているが、毛様体上皮嚢腫は眼球に直接衝撃が加わるような外傷によつてのみ生起するのであり、さらに毛様体上皮嚢腫が破れると緑内障を発症するか一時的に硝子体混濁を起すことはあるが、これが葡萄膜滲出症候群を発症させるという文献はないのであるから、右推論は当を得ない。

したがつて原告の両眼失明は戦地における顕部などの打撃に起因するとは考えられず、公務起因性が顕著であるとはいえないから、本件処分には違法はない。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1及び3の各事実並びに原告が昭和三四年三月に両眼を失明したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  右事実並びに<証拠略>によれば、原告は昭和一六年三月二二日独立歩兵第九一大隊第一中隊に入営し、直ちに中華民国(当時)に派遣され、昭和一八年から江南殲滅作戦に参加したが、同年五月二七日同国湖南省太子坡において右大隊と国民党軍との交戦に際し中隊長に直属する指揮班の軽機関銃射手として戦闘に加わつていたところ飛来した迫撃砲弾が至近に落下して炸裂し頭部などに強い衝撃を受け一時失神するに至つたこと、このため原告は意識を回復した直後から右眼に霞か霧のかかつたような症状を感じたこと、そして同年七月及び昭和二〇年春に視力検査を受けたところでは昭和一五年に一・二であつた右眼の視力は〇・七に低下していたが、戦地のことゆえ診療を受けることもなくそのまま軍務に服したこと、昭和三二年九月右眼に混濁を生じ、加療中左眼も同様の状態となり、同年一二月東京大学医学部附属病院に入院、手術を受け、その後も治療を続けたが、結局昭和三四年三月両眼失明に至つたこと、以上の事実が認められる。

これに対し原告は、頭部及び右眼を負傷したと主張するが、右部分に外傷を受けた事実を認めるに足る証拠はない。また、<証拠略>には、原告は右眼が霞むような状態が復員後も続き再三医師の診断を受けた旨の記載ないし供述部分があるが、右の症状がいつまでどのような状態で続いたかについてはこれを客観的に裏付ける証拠はないから右各証拠をにわかに採用することはできず、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

三  右にみたように原告は、戦闘行為に際し頭部などに強い衝撃を受け、右眼に異状を感じた事実が認められるので、右の事実と両眼失明との間に相当因果関係があるか否かにつき検討する。

1  <証拠略>によれば、現在原告の両眼の網脈絡膜及び視神経は萎縮して両眼とも失明状態(明暗弁)にあるが、これは原告が東京大学医学部附属病院に入院した昭和三二年一二月前後から生じた網膜剥離に起因するものであること、すなわち、そのころ原告の両眼には散在する限局した一、二乳頭径の網膜浮腫(限局性の剥離)があつてこれが漸次緩漫に融合して高度の網膜剥離が生じたものであること、前記病院で原告の治療にあたつた鹿野信一医師は、右の網膜剥離が両眼同時に緩漫に進行したことや前房の所見から原告の網膜剥離は外傷性、特発性のものではなく炎症性の剥離であると考え、また同医師を含む同病院の医師らも、原告の眼症状につき当初は重篤の原田氏病ではあるが耳鳴り・難聴の訴えもなく同病特有の皮膚白斑・脱毛・白髪等の全身所見もないところから原田氏病でも異型のものと判断していたこと、しかし同医師は昭和五〇年九月に再度原告を診療した結果、両眼前房に異常はなく中間透光体に混濁は少なく眼底には全体的な脱色素や夕焼状眼底の所見がないことが認められたことから炎症性の所見も乏しかつた前記の症状・経過を総合して、原告の眼疾患は昭和三八年に米国のシエツペンスにより発表された葡萄膜滲出症候群であるとの結論に達したこと、網膜剥離は網膜に裂孔が存在しそこから硝子体液が浸入して網膜下に貯留するという裂孔原性網膜剥離と呼ばれるものがほとんどであるが、色素上皮の機能が障害されるなどして脈絡膜の血管からの滲出液が網膜の下に貯留して裂孔を伴わずに剥離が生ずる非裂孔原性網膜剥離という病態も存し、後者は原田氏病や葡萄膜滲出症候群などによつて生ずるとされていること、原田氏病は急激に強度の非化膿性瀰漫性脈絡膜炎を生じ網膜は滲出液のためところどころ浮腫状に隆起しついには融合、剥離することがあるという疾病であつて、頭痛・悪心のほか耳鳴り・難聴の内耳性聴器障害、毛髪の白変・脱落や皮膚白斑の全身症状を呈することもあるというのであり、また葡萄膜滲出症候群は網膜下の移動しやすい滲出液により裂孔を生ずることなく多く両眼同時に高度かつ緩漫な網膜剥離を生ずるものであり、男性に好発し前房・硝子体の炎症症状、色素異常、聴覚障害がないという特徴をもつ疾病であるところ、原告に生じた網膜剥離は前記の所見、経過からみて非裂孔原性のものであり、その症状は異型(不定型)の原田氏病あるいは葡萄膜滲出症候群によるものと考えるのが相当であること、以上の事実が認められる。もつとも<証拠略>には原告の右眼黄斑部及び上耳側動脈の外側部に存する多角不正形の黄色斑をもつて網膜剥離の裂孔閉塞の痕跡と判断するという部分があり、また原告本人尋問の結果中には前記病院での初診時に網膜が真一文字に切れた古い傷が奇跡的に塞つている旨指摘されたという供述部分がある。しかしながら、鹿野医師の意見書や診断書(<証拠略>)には原告の網膜に裂孔あるいは損傷があつた旨あるいはこれらの裂孔等が原因で網膜剥離を生じた旨の記載はないこと、<証拠略>によれば外傷性の網膜の損傷による剥離は受傷後直ちに進行することが認められるところ、前認定のとおり原告の網膜剥離は緩漫に進行したものであること、また、前認定のとおり原告の網膜剥離はいくつかの網膜浮腫が合体して生じたものであつて原告が原田氏病あるいは葡萄膜滲出症候群と診断されていることからみて、原告の網膜剥離を裂孔原性のものとみることは相当でない。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、右事実並びに<証拠略>によれば、原田氏病は眼のみならず毛髪・皮膚・内耳など色素を有する部位を侵す全身病であり色素と何らかの関係をもつものと考えられていたが、近時色素細胞を抗原とする自己免疫疾患で、外傷とは無関係であることが明らかにされていることが認められる。したがつて仮に原告が原田氏病に罹患して網膜剥離を生じて失明したものとすれば、これが前認定の戦地での頭部などの強打に起因するものでないことは明らかである。

また<証拠略>によれば、葡萄膜滲出症候群の原因は未だ解明されておらず、シエツペンスの論文をはじめこれまで日本で同症候群につき報告されたいくつかの文献をみても原告と同様の霧視を訴えたのちに同症候群が発現した患者は存するものの疾病の原因が外傷を含む可能性を示唆するものはなく、網膜色素上皮細胞の障害によつて惹起されるものとの推測がなされているだけであることが認められるのであるから、原告が同症候群に罹患した結果失明に至つたとしても、これと前記の頭部などの衝撃との間の相当因果関係は明らかではないといわざるを得ない。

この点柵山証人は同症候群につき外傷を含むあらゆる原因が考えられると証言し、また<証拠略>には頭部の衝撃により同症候群が発症することがありうる、あるいは外傷によつて生じた毛様体上皮嚢腫が数年後に破裂して同症候群を起すという推測もできるという部分があるが、外傷が同症候群を惹起するという報告のないことは前認定のとおりであるところ、右の柵山証言も鹿野医師の意見も外傷により同症候群が発現するという病理機序について合理的な説明もないのであるから、これらをもつて原告の頭部などの打撃と同症候群罹患との間に明らかな相当因果関係が存すると認定することはできない。外傷による毛様体上皮嚢腫の破裂によつて同症候群が発症するという鹿野医師の意見についても同様である。

なお<証拠略>によれば、原田氏病と類似した眼症状と経過をとる疾病として交感性眼炎があり、これは穿孔性外傷により通常毛様体が破壊され受傷後一か月を経て受傷眼のみならず他眼にも葡萄膜炎を生ぜしめるものであるが、原告の右前眼部には穿孔創は存在しないのであるから原告の網膜剥離が同病に起因しているとはいえないことが認められる。

四  右のとおり前記の原告の頭部などに受けた衝撃と失明との間に相当因果関係が存するか否かは医学上明らかでないから、原告の失明は公務起因性が顕著であるということはできない。したがつて、本件処分には原告の主張する違法はない。

五  よつて原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 時岡泰 菊池徹 大鷹一郎)

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